若者の所得格差拡大
格差社会に関する関心が高まっている。実際、「全国消費実態調査」によれば1999年から2004年にかけて30歳未満の所得格差が急拡大した。それまでは、将来の所得格差の大きさを表す消費の格差の拡大は観察されていたが、所得格差としては顕在化していなかった。不況の深刻化が、若年層の所得格差を拡大させた。このような若者の所得格差の状況が「下流社会」という言葉が流行語になった背景にある。
若年層における所得格差拡大は、超就職氷河期がもたらしたフリーターと失業の増加によって引き起こされている。それでは、どうして超就職氷河期がもたらされ、それがフリーターの増加につながったのだろう。
最大の理由は、不況がもたらした労働市場における需要の低下である。ただ、需要が低下しただけではフリーターや失業の増加につながらない。賃金が低下す れば、労働需要はそれだけ増えるからである。実際、マクロ統計でみると90年代に下方硬直的だった日本の賃金は、98年以降低下し、下方硬直性が解消したようにみ える。このとき、全労働者の賃金が平均して下がっていれば、失業や賃金格差は発生しないはずだ。しかし、現実に生じた賃金低下はそのようにして発生したの ではない。正社員の賃金低下は、わずかに止まった。そのため、リストラが発生し、新規採用は大幅に低下した。採用は、非正規労働に集中した。
リストラされた労働者や新規学卒者で正規労働者の職を見つけることができなかったものは、パートタイム労働者、契約社員、派遣労働者といった非正規労働 と呼ばれる就業形態についたか、失業者となった。若者のなかには、専門学校や大学院に進学したものもいるだろう。なかには長期間の就職活動に疲れ果てて、いわ ゆるニートになったものもいる。
若者の間の所得格差を心配し、それを解消する手立てを考えるためには、非正規就業が増えた理由を考える必要がある。しばしば、派遣労働に関する規制緩和 が、非正規就業を増やした原因であると主張される。しかしながら、非正規労働の中に占める派遣労働の比率が比較的低いことを考えると、説得的な説明ではな い。仮に、派遣労働が自由化されていなければ、パート、契約社員、請負労働がもっと増えていたか、失業が増えていただけである。
本質的な理由は、景気の悪化に伴い労働需要が低下したことが原因である。そして、その労働需要の低下が新規採用の抑制という形で現れたのである。あなた がある企業の労働組合の委員長をしていたとしよう。経営側が、人件費カットに協力を要請してきたとする。(A案)「正規社員の新規採用を継続しながら一律 10%の賃金カットによる人件費カット」か(B案)「正社員の賃金は現状維持のまま正規社員の新規採用をストップして人員不足はパートで補うことによる 10%の人件費カット」を提示された場合に、組合としてはどう対応するだろう。
新規採用者は現在の組合員ではないので、新規採用ストップに反対する組合員はだれもいないのではないか。正規社員を採用するために賃金カットを受け入れ てくれと組合員を説得することはなかなか難しいことだろう。結局、どの企業でも(B案)の採用抑制とパートへの置き換えによる人件費カットを選ぶことにな る。
しかし、企業にとって望ましいのは、賃金カットをして正社員の新規採用を続けることである。そうした方が、長期的視点で従業員の訓練が可能になる。しか し、短期的な新規採用ストップであれば、従業員の技能が低下する効果や技能が継承されない影響は無視できる。したがって、企業の人事担当者も労働組合の意 見を受けて、新規採用抑制を行う。こうした個々の企業の意思決定が、超就職氷河期を生み、若者の間の所得格差を生むことになったのだ。
では、どうすればこのような若者の所得格差を解消できるのだろうか。第一は、景気回復である。人手不足になれば条件の悪いパートや派遣では労働者の採用ができなくなる。若年者の所得格差の発生原因が不況であったのだから、景気回復が直接の解決策である。
第二は、既存労働者の既得権を過度に守らないようにすることである。解雇権濫用法理では、従業員の解雇を行うためには、新規採用を抑制して雇用維持努力 をしていることを一つの要件としてあげている。既存労働者の雇用保障の程度が高ければ高いほど、既存労働者は賃金切り下げに反対する。それは結果的に、若 者のフリーターを増やし、所得格差を拡大することになる。
第三に、既存労働者が実質賃金の切り下げに応じやすい環境を作ることだ。デフレ環境では、実質賃金を引き下げるには、名目賃金の低下を受け入れる必要が ある。しかし、インフレのもとでは労働者は実質賃金の切り下げを受け入れやすい。最低限名目賃金の維持さえ獲得できれば、労働組合委員長の面子も立つので はないだろうか。また、デフレでもなかなか低下しない教育費、住宅ローンについても、デフレに応じて負担を減らすことができるような制度を組み込むことが 必要だ。そうすれば、既存労働者が名目賃金の引き下げに反対することで、潜在的な労働者である若者が不利な立場に立たされることもなくなり、日本企業の長 期的な成長力が低下することもない。
第四に、既に、長期間フリーターを続け、職業能力が十分に形成されていない若者に対して、積極的な職業紹介や教育・訓練を行っていくことが必要である。
若者の間の所得格差が急激に拡大したことは事実である。この格差拡大が永続的なものにならないようにするための様々な政策を支持することは、若者の格差拡大を引き起こした既存正社員の若者へのせめてもの償いではないだろうか。
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コメント
ご説明ありがとうございました。
これまで大竹先生の書かれるものをチラチラと流し読み程度にしかしていなかったのですが、お考えがよくわかりました。
同じ懸念をお持ちでいらっしゃるようなので、このブログにお邪魔してみたのですが、解決策についてはわたしは全く違う考えです。
非正規について問題にしましたが、実は正規労働者の中でさえ、日本型人事制度の中で守られてきた中高年(先生のおっしゃる「既存労働者」はこの類型だと思います)と、採用形態が多様化し、成果主義にされされている現在の若年層とは違ってきていると思いますし、また、正規労働者の中での事業所規模間格差が増大しているのではないでしょうか。
上から全体的に景気を浮揚させるだけでは、人間だけでなく企業にも言えますが、規制緩和を利用しながらさまざまな既得権に保護されている大企業(典型は銀行では)とその社員を優遇するだけです。長期的に持続する社会を支えるのに必要な、地場の企業や中小企業、NPOなどは、地域での若年の雇用保障のためにももっと政府からのてこ入れが必要なのに、ここに支援がまわっていません。支援名目のさまざまな補助金は、本来地方に分権化すべきところを、官僚が握って話さないので、途中でナントカ機構というところで利権となって消えてゆくだけです。
正規労働者でも、若年層はじゅうぶん賃金は切り下がっていますし、雇用も保護されているとは言い難い状況です。自転車操業で長時間労働を強いられている中小企業の正規労働者の賃金は、時間に換算すれば、非正規以下かもしれません。
杞憂かもしれませんが、現在の団塊が大量退職後、少ない年金の補助に、ということで、安価な労働力として市場に還流して、更に現在の非正規・若年の低水準を切り下げるのでは、と気になっています。シルバー人材センターでの派遣も始まったことですし。
「既存労働者」一般の保護の解除は、これら、若年の労働条件を更に切り下げることにしかつながらないと思います。
この「格差」は、実は、別の格差にもつながっています。第四の点で、若年の能力開発についてふれておられましたが、基本的な能力形成の場をまず保障せずに、職業能力の場を作っても手遅れです。つまり、学校教育の段階で、できるだけ格差を作らないことが必要だと思います。ヨーロッパではそもそも義務教育が無料であって、その後に、成人教育・公的職業訓練の制度が整備されているわけですね。学校教育で落ちこぼしを目一杯作っておいて、その後に自立塾だの職業訓練の場で救う、というのは、間違っています。
大竹先生の分野ではありませんが、家族への援助という家族政策、これも、日本で現在かまびすしい「少子化対策」の意味もなくはないですけれど、本来は、格差を是正し、次世代への環境保障の効果を持たせる所得再配分策ですね。
今後の若年層を考えるtと、経済政策だけでなく、生活全般をみわたす、格差への配慮がなければならないと思っています。
おそらく大竹先生はマクロの経済政策的見地から見ておられるのでしょう。わたしは、社会政策、それもヨーロッパ型の社会政策(というより、アメリカには経済政策はあっても社会政策はないように思いますが)に関心を持っていて、日本はもっとヨーロッパ型に学ぶべきだと考えています。
投稿: FY | 2006年3月25日 (土) 08時27分
訂正です。第4段落冒頭、「人間だけでなく企業にも言えますが」というワケノワカラナイ一文は、いわゆる「勝ち組」というのを入れるつもりだったのでした。
投稿: FY | 2006年3月25日 (土) 08時30分
FYさん、コメントありがとうございました。
教育についてのご意見は私も同じ考えです。実際、そういう発言もしてきましたし、3月26日掲載予定の日経「経済論壇から」にもその点を書いております。公的雇用やNPOでの雇用にという点についても以前不良債権処理で失業が増えることが懸念された時に、そういう主張をしました。
ただし、こうした政策の財源は、税金になるわけですから、既存社員の税負担が増えて、NPOや公的雇用に回るという意味で、既存社員の既得権益を放棄してもらうことと基本的には同じだと思います。税金を通じて行うのか、市場メカニズムによる規律を通じて行うのか、というのが違いだと思います。私はどちらも必要だと思います。「無駄遣い」を削れば財源はある、という議論はあると思いますが、FYさんが望ましいとされるヨーロッパに比べると日本の税負担は非常に低いのが現状です。
景気回復や規制緩和が大企業だけに利する、というご意見は私には理解できません。規制緩和をうまく使うことができる人とそうでない人の間に差がでるのは事実だと思います。それは、技術革新をうまく使う人とそうでない人がいるのと同じだと思います。
教育に関する公的な支援を充実すべき、という点は同意します。家族政策については、その中身によると思います。バウチャーなどを利用しないと、本来の目的に使われない可能性もあります。
投稿: 大竹 | 2006年3月25日 (土) 09時24分
素人の匿名での投稿に、ていねいなお返事ありがとうございます。
ヨーロッパ、というより、北欧型ですかね、高福祉高負担、という。税負担は高いけれども、それなりのセーフティネット、というのがもちろん望ましいと思います。わたし自身「既存労働者」の一員ですが、収入の半分というデンマーク型の負担でもいいから、デンマーク型の福祉があれば、と思います。社員だけでなく、企業にも累進で負担して頂きたいですけれどね。
教育については、ヨーロッパでは義務教育が無料、と書いたのは、教育が大学までほぼ公教育で、その公教育が無料、の書き間違いでした。でも、現実的に考えると、日本で教育制度をヨーロッパ型に組み替えるのは、福祉よりももっと無理そうな感じがしますね。
それから、「景気回復や規制緩和が大企業だけに利するから、景気浮揚策や規制緩和を行うべきではない」と考えているつもりではありません。現在の経済政策や規制緩和が、望ましい税制同様、誰にとっても、というか、大多数の益になるものではなくて、大企業にとって有利、としか見えないので。規制緩和が本来の規制緩和にはなっていないのでは。地方への分権も自治体への一種の規制緩和だと思いますが、これも全然進みませんね。許認可だけでなく、情報なども、これまで国が握っていたものをもっと自由に国民が使えて、自由な経済活動ができ、それによって「税負担に耐えうる市民」を増やさねばならないと思いますが、たとえば、NPOや起業などを考えると、市民の立場では、情報はないは、公的支援はないは、規制はまだまだ多いは、銀行は金など貸してくれないは、で、リスクばかりが高すぎる感じで。うーむ、最後のほうはけっこう印象ですが。
投稿: FY | 2006年3月25日 (土) 21時17分
先月末某シンクタンクのフォーラム聞いてきたのですがその内容に拠ると若年層の所得格差は今後10年でぐっと縮少するみたいです。
何故なら下位層が上位層をかなりの勢いで追い上げるからだそうです。各種格差報道や就職情報誌の調査ではっきりしたのはどうやら「誰でも出来るようなことしか出来ない」と個人は社会から落伍せざるを得ないことみたいですね。
現在の自分が比較劣位に位置していると認識する下位層に位置する若者が社会から落伍しないようにするために様々な技術,資格,技能等を身につけようとするのは自然な流れだそうです。
幾つかの事例が挙げられてましたが這い上がろうとする若者達のバイタリティは確かに桁違いのものがありそうですしまた話を聞いていて彼ら,彼女らのエネルギーがこの国の未来を創っていくような気がしました。
当然大竹先生は日々若者と接しておられますよね。格差が今よりかなり小さくなるらしい未来社会の姿を大竹先生はどのように予測されていますか?
投稿: デジ1工担者 | 2006年4月 4日 (火) 15時22分
デジ1工担者さん、コメントありがとうございました。賃金格差が拡大すると、格差そのものが必要な技能を身につけるためのインセンティブとして働くので、しばらくすると技能をもった労働者が増加します。そうすると、技能をもった労働者の賃金はやがて低下しだすはずです。逆に、未熟練労働の供給が減るわけですから、未熟練労働の賃金は上昇をはじめます。そういう調整過程を経て、「長期的」には格差が縮小に向かうというのは、正しいでしょう。調整にどのくらいの期間が必要なのかは、教育・訓練の仕組みによると思います。したがって、新しい技能を身につけるための機会をできる限り提供することが長期的な対応策だと思います。様々な理由で人的資本を身につけるべき時期に十分な訓練を受けることができなかった人たちをどうサポートするか、という点が問題として残ると思います。
投稿: 大竹 | 2006年4月 4日 (火) 17時29分