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2007年8月29日 (水)

「ウィキノミクス」と改正統計法

『週刊東洋経済』、2007年8月4日号に掲載した「「ウィキノミクス」で経済政策」のロングバージョンをアップします。

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カナダの小さな金鉱山会社が、自社が持っている地質データをインターネットで公開し、金鉱脈を見つける優れた方法を提案した人に賞金を出した。この方法で、この会社は多くの新たな金鉱脈を発見することができた。タプスコットとウィリアムズ両氏による著書『ウィキノミクス』(日経BP社)の冒頭に紹介されている事実である。

このアイデアを思いついた金鉱山会社の社長は、コンピューターの基本ソフトであるリナックスの開発方法を聞いたことが発端だったという。リナックスの開発者のリーナス・トーバルズが、自分の開発したコードを世界に公開し、世界中のプログラマーがリナックスの開発に無償で取り組んだことが、優れたソフトの開発につながり、現在広く使われるようになったというよく知られた事実である。

経済問題の解決にも「ウィキノミクス」の手法を使うことを私は提案したい。様々なデータをプライバシーの問題にならないような形で公開し、経済問題解決のアイデアを世界中の研究者から出してもらうのである。

『ウィキノミクス』には、様々なオープンソース化によって成功した企業の事例が数多く描かれている。科学の世界では、オープンソースというのは当然の概念で、それが科学を発展させてきた。一方、利潤最大化を行う企業では、技術の囲い込みをしないと経営が成り立たないというのが、今までの常識であった。しかし、不確実性が大きく革新的なアイデアに依存する割合が高い分野では、技術の囲いこみのメリットよりもオープンソース化によるメリットの方が大きくなってきたのだろう。

役所がデータを独占し、様々な政策の運営方針を決定していくという従来の政策決定方法は、専門的知識をもったものが政府部内にしかいなかった時代で、データの分析に大きな設備が必要であった時代には、ある程度の合理性をもっていたかもしれない。また、日本のデータを公開することで、外国に日本のことを研究されると国益が損なわれるという問題もあったのかもしれない。

しかし、データを公開して日本で発生している様々な経済社会問題の発生原因を世界中の研究者が科学的に明らかにし、その解決方法を研究すれば、役所の中だけで限られた人たちが忙しい公務の傍らでデータを分析し、アイデアを考えるよりは、はるかに効率的に正しい処方箋が得られるはずだ。いくら日本の公務員が優秀で専門的知識をもっていたとしても、時間も人数も限られている。世界中の研究者の頭脳をほとんど無料で使うことができるのだ。

なぜ、データを公開すれば、研究者は無料で日本の研究をしてくれるのであろうか。それは、日本の問題が日本だけで発生しているのではないこと、社会科学では現実の経済を使った実験が不可能なので、複数の国の比較研究が非常に有益であることが、研究者の研究意欲につながるのだ。

経済学の世界では、これを既に実践している国がアメリカである。アメリカでは、日本の労働力調査にあたるCurrent Population Surveyの個票データが個人識別を不可能に処理されて、インターネット上に公開されている。また、PSIDやNLSYといった個人追跡データ、様々な世論調査も研究用に利用可能である。さらには、社会保険に関する個人データも研究用に用いられている。公開のレベルは、データによってインターネットによる公開から、特定の設備内での利用に限定するものまで様々である。

こうしたデータが公表されるとアメリカの経済学者だけではなく、世界中の経済学者がアメリカのデータを用いて、アメリカの経済問題を分析し、論文を書いて発表してきた。80年代からアメリカの所得格差の拡大が観察され始めると、世界中の経済学者はアメリカのデータを用いて、アメリカの所得格差拡大の理由を明らかにしてきた。公的年金が個人貯蓄に与える影響や引退行動に与える影響、失業保険が職探し行動に与える影響といった分析は、業務データの研究者向け公開がなければ進まなかった。こうした研究成果は間いなく、実際の制度設計に役立てられていく。科学的な分析があれば、不公平な政策決定は行われにくくなるはずだ。

現在、最低賃金の引き上げ問題が政策的な問題になりつつあるが、最低賃金の引き上げの効果を分析するためのデータが公開されてこなかったので、日本で最低賃金はいったいどのような役割を果たしていて、引き上げれば何が起こるのかについて信頼できる研究は少ない。そのため、いつまでたっても、経営側は最低賃金の引き上げに反対し、労働側が賛成するという政治的な対立を公益委員が仲裁して決めるということになっている。

日本のデータを公開しても、世界中の研究者が研究してくれるわけではないという反論があるかもしれない。そんなことはない。社会科学においては、現実の経済を使った実験ができない以上、国際比較は有力な研究方法である。また、世界でも貴重なデータであれば、そのデータを使った研究は急速に進展する。例えば、近年急速に進んでいるのは、北欧諸国のデータを用いた研究である。北欧諸国では、国民総背番号制のため、出生時の体重、身長から現在の所得まで全国民のデータをマッチすることでできる。一卵性双生児の間での出生時の体重差がその後の所得に与える影響のように通常のサンプル調査では分析不可能なデータを用いた研究が次々と行われており、研究成果は一流の経済学専門誌に掲載されている。

実は、日本の統計法が今年の国会が改正され、研究向けに政府の統計や業務統計が公開されることが「可能」になった。しかしながら、「可能」になっただけで当該官庁がデータを公開しないことは自由である。

日本の役所もカナダの金鉱山会社の社長のように発想を転換させ、データを公開し、日本の経済社会の問題を解決する方法を世界中の研究者に求めてみてはどうだろうか。
日本の政治の政策論争が抽象的なものに終始する傾向が強いのは、野党がデータをもとに政策効果の分析ができないことにも原因がある。匿名性を担保された所得に関する個票データが公開されていたら所得格差の現状や原因について、野党側が分析した上で、政策提案ができただろう。

最低賃金水準で働いている人たちの生活水準が本当に貧しいのだろうか。最低賃金を引き上げると彼らの雇用環境はどうなるのだろうか。こうしたことをデータで分析した上で、最低賃金の引き上げについての議論がされていたら、最低賃金引き上げの論争も実り多いものになる。

消えた年金の問題も、研究用にデータが公開されていたら、問題はもっと早くに明らかになっていただろう。消えた年金問題の解決策についても、様々なアイデアを世界中から集めることも可能かもしれない。

インターネットでデータを公開することは、営業目的での利用も許してしまうので不可能だと考えもあるかもしれない。この点については、学術利用であることに同意した上でダウンロードを可能にするようなシステムを作ることで法的な問題は解決できるはずである。実際、世界銀行が行っているデータには、そういった方法で公開しているものもある。例えば、世銀データのアルバニア調査(http://www.worldbank.org/html/prdph/lsms/country/alb2002/agree.html#top )がその一つである。

改正された統計法を有効に活用することによって政府統計データの公開を促進することで、よりよい政策論争を可能にする。これは、与野党のみならず日本人全員にとってもよいことのはずだ。消えた年金問題を責任論という後ろ向きの議論で終らせずに、よりよい制度設計とデータの公開という方向に結び付けてほしい。

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コメント

初めまして大竹様
「wikinomics」を読みました。
マスコラボレーションの重要性を具体例を
豊富に挙げて説明していますね。

私はボーイング787の設計のトピックスに注目しました。777の頃は仕様書2500頁を787はわずか
20頁に収まったのは衝撃的です!(125倍の圧縮力)。

以前から本ブログを参考にさせていただいていました。
これからも末永く続けてください。

投稿: フジキセキ | 2007年10月18日 (木) 00時28分

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