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2012年1月30日 (月)

啓蒙と学問のあいだ: 熊谷尚夫著『現代経済学入門』(日本評論社)

 啓蒙と学問のあいだ
             大竹文雄
 経済学と聞いて一般の人がイメージするのは、株価の予測だったり、景気予測だったりするのではないだろうか。いわゆる“エコノミスト”というのは、そういうことが期待されている職業だ。オイルショックを中学生のころに経験した私が経済学部に入学した動機も、物価の変動を予測できるようになりたいというものだった。ところが、経済学部に入って、大学の講義に出たり、経済学の入門書を読んで、自分がイメージしたものとずいぶん違うことに戸惑った。経済理論は、弾力性だとか均衡だとかといった物理学の用語が頻出するばかりで現実の経済とどう関係するのかよくわからない。一方で、アダム・スミスのような古典の解説は、ずいぶん昔の話を聞いているようで、現在の経済とどう関連するのか理解できなかった。
 こういうギャップは、他の学問分野では比較的小さい。医学部や法学部のように職業と直結している分野だけでなく、文学部や理学部でもそうだろう。それに比べると、経済学部では学生が経済学部に期待する内容と教育内容に大きなギャップがある。それは私が学生だったころと現在でもあまり違わないのではないだろうか。
 その理由は、経済学の中身が高校までの教育で正しく伝えられていないことと、大学での教育のあり方の両方にある。どんな学問でも「きちんと分かる」までには結構時間がかかるし、そのためには努力も必要だ。ただ、その到達目標と現在の努力の関連がわからないと努力を続けていくことは難しい。私が経済学部に入って苦しんでいたのは、学んでいることとその先にあるものの関連がよくわからなかったからだ。
 そんな中、「こういうことだったのか」と理解させてくれたのが熊谷尚夫著『現代経済学入門』(日本評論社)という本だった。本書を読んだことを契機に、私は経済学の面白さに引き込まれていった。この本の「序言」には「現代のエコノミストが・・・take for grantedとされるような、基礎的な知識やorthodoxな考え方のエッセンスを読者につたえようとするのが念願」だと書かれている。これこそ啓蒙書に必要なことだ。しかし、専門家になるとこれを実践することは難しい。ところが、学問的な発見には、当たり前と思われていることを疑ってかかるという態度も重要だ。そうしてみると啓蒙と学問の間の距離は意外に短いのかもしれない。

『ミネルヴァ通信/書物逍遥』、2007年10月号、p 2.

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